デザイン/マーケティング思考

コンテンツとは

先月はキモについて述べましたのでキモの次はツカミについて述べたいと考えます。
つかみを辞書で調べてみると「手で握ること」「相手の気持ちを引き付けること」「欲の深いこと」等々のように様々述べられています。
デザインとマーケティングのブログというところのキモとしては「相手の気持ちを引き付ける」ことと考えます。

ではコンテンツとしてツカミをどのように考えればいいのでしょうか。

例えば、あなたの Web 上でのコンテンツ、ブログなら 1 行~20 行で面白くなければ、読むのをやめてしまう可能性が高いと考えます。
また、テレビや配信のドラマであれば、15 分~30 分ぐらいで見切りをつけて観るのをやめてしまうでしょう。
今の人達は、それほどコンテンツ自体の価値に対して厳しく考えていると思います。
今の人達は観るにしても読むにしても、特に時間の消費に対して重要に考えているように思えてなりません。
だからこそ、多様化する社会に於いてはコンテンツを求めるオーディエンスそれぞれが求める価値感自体をクリエイター自身がよく考えて行く必要があります。

現在、テレビを観てもあまりバラエティやドラマでも面白いと思うようなものが少なように感じています。
特に私自身が過ごした 70 年代後半~90 年代にテレビで放送されていた番組なども現在でも人々にも受け入れられるコンテンツや番組があると考えています。
当然ですが、今では規制され放送が出来ない番組もありますが...
それでも人知れず放送が出来るキラーコンテンツが星の数ほどあると考えています。
推測ですが、特にテレビ業界など制作費が掛けられない事情もあるとは思いますが、今の内向きの背景が強く、影響がありすぎて制作側のスタッフやクリエイターが小さくまとまってしまっているように思います。
少しばかり伝えたい内容がそれてしまいましたが本題に戻ります。

コンテンツのツカミ
小説やブログなどの文章のツカミは文の 1 行目~10 行目以内で読者の気持ちをツカメないと後は読んで貰えないとライターの方が述べています。
では、ドラマの場合は遅くても最初の第 1 回目、第一話目で早ければ、はじめの 15 分~30 分ぐらいでどうやら視聴者が離れて行くみたいです。
だからこそ、ブログもドラマでもある程度最初にそれなりのつかみになるような意外性やインパクト性が必要で、それが無ければコンテンツそのものに魅力がなくなり観ている人を引き込むことができないということになります。
では、どのようにコンテンツに於いてツカミを考えて行けばいいでしょうか。

重要なのはブログや小説、ドラマであれば記事や物語などのコンテンツに於ける導入部分にあたります。
先ほど述べたようにありきたりの導入では、コンテンツに引き込むことはできませんから、コンテンツに魅力を感じるような表現になるようなネタを記事なら 10 行目まで、ドラマなら 15 分までに忍ばせることをまず 考え表現することが重要だと考えます。
コース料理に例えると最初のツカミは前菜にあたり、このレストランのシェフが作るコース料理がどれほど美味しいかを判断することよって、その料理を楽しめるかどうかが最初に分かると思います。
例えば、私が小説を創作するなら主人公にいきなり格闘場面から展開し始めると考えます。


『2 月の終わりとはいえ、まだ底冷えがする季節、寒さを感じながらコートの襟を立て皮の手袋をはめながらいつものようにサラリーマンの正田真彦は白い吐息をたてて歩いていた。
「まだ、寒いなー」「早く暖かくならないかな」「今日先輩に怒られたし」とブツブツと独り言を言いながら。
早めに今日の仕事が切り上げ、近くの駅に向かうためにいつも通りの道を駅に向かっていた。
都会の中心部にしては、この通り周囲に街灯が少なく木々が生い茂っており、変質者が出没すると噂が立つような薄暗い高架下の道である。
高架下にちょうど差しかかったところ突然、待ち構えたいたかのようにガタイのよい謎の幾人かの男達が真彦の行く手をふさぐように現れた。
まるで映画に出てくるような黒服の姿で黒縁のサングラスを掛けて表情が余り見えない訳がありそうな男達のように見える。
真彦は少し苛立って「オレの歩く前をジャマしないでくれ。ただでさえ、今日のオレは機嫌が悪いんだ」と真彦が告げたとたん。
謎の集団の一人が携帯する警棒をビューンと振り上げ勢いよく正彦に殴りかかったきた。
真彦は素早くパッと身をかわし、警棒を振り上げた男の横っ腹を強く蹴り上げたところドスッと男の体から鈍い音が聞こえた。
男の表情を見ると顔は歪み何やら訳の分からない東欧訛りのような言葉を口ずさみ、よろけたがすぐに体勢を整えて再度向かってきたが、またもや真彦は軽々と身交わしたところに残りの黒い男達がいっせいに警棒を持って真彦に襲いかかってきた。
危うくなる真彦に近づく複数の靴音が聞こえてきた。』


お粗末ですが、私が考える小説の導入部分をこのように表現します。
なぜ、小説に於いてこのような山場を初っぱなに持って行くかといわれたら、先程から述べているように最初にツカミを作らないとオーディエンスがそのコンテンツが面白いかどうか最初に判断して、付き合って貰えるかどうかが決まってしまうからです。

コンテンツの作成に於いて、最初のつかみの重要性が少しは分かって貰えたでしょうか。
物事は始まりが全てであり、そこからコンテンツの良さが伝わるかどうかオーディエンスに対しての勝負が 決まると私は考えます。
今回のツカミと前回のキモの重要さが読んで頂いき少しでも分かって貰えればありがたいと考えています。
尚、みなさんがこの小説の先が読みたいかどうかは分かりませんが、以前より私は弊社の社長にこの小説を創作したいと話しています

今後ともこのデザインとマーケティングを講読して頂ければとお願いします。

文/デザイン・マーケティング担当 太田正信

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